
序章:本記事の目的と構成
本記事は、株式会社セガ(以下、セガ)およびセガサミーグループの60年以上にわたる歴史を、体系的かつ詳細に分析することを目的としています。
セガは、アーケードゲーム市場のパイオニアとして出発し、家庭用ゲーム機市場での激しい競争を経て、現在はグローバルなエンターテインメント・コンテンツ企業へと変貌を遂げています。
本記事では、まず創業期からアーケード市場での地位確立(第1章)、家庭用ゲーム市場への参入と「体感ゲーム」の時代(第2章)を概観します。
次に、3D革命とコンソール戦争が激化した1990年代(第3章)、ハードウェア事業からの撤退とセガサミーグループの誕生(第4章)という大きな戦略的転換を分析します。
さらに、アトラスやRovioの買収を含む、現代のグローバル・パブリッシャーへの飛躍(第5章)を詳述します。
最後に、セガの技術思想と戦略を具体的に理解するため、主要な家庭用ゲームハードウェアの詳細な仕様(第6章)と、黎明期を支えたソフトウェアのリスト(第7章)をデータとして提示します。
第1章:セガの創世記とアーケード市場の確立 (1960年代 – 1970年代)
セガの歴史は、1960年6月に遡ります。
この時期、業務用アミューズメントマシンの販売を担う「日本娯楽物産(株)」と、製造を担う「日本機械製造(株)」が設立されました 。これが現在のセガの直接的な源流となります。
1960年:『セガ1000』と企業の誕生
日本娯楽物産(株)設立の翌月、1960年7月には、日本機械製造が国産初のジュークボックスである『セガ1000』を発売しました。
海外製品の研究を基に開発されたこの製品は、「Service(サービス) Games(ゲームス)」の頭文字を取り、「セガ1000」と名付けられました。
この「セガ」というブランド名が、後の企業名を決定づけることになります。
1965年:(株)セガ・エンタープライゼスへの商号変更
セガの企業体としての基盤は、1960年代半ばの合併によって形成されました。
1964年に製造部門(日本機械製造)を吸収合併した後、1965年7月にはゲームセンターの運営業を行っていた(有)ローゼン・エンタープライゼスを吸収合併しました。
この合併に伴い、商号を「(株)セガ・エンタープライゼス」に変更し、アミューズメント施設の運営事業を開始しました。
この創業期の動きは、セガの企業DNAを理解する上で極めて重要です。
単なる「メーカー(製造)」に留まらず、自ら「オペレーター(運営)」をも手掛けるという、開発からサービス提供までを一気通貫で行う「垂直統合」モデルの原型が、この時点で既に確立されていました。
1966年:『ペリスコープ』の世界的大ヒット
セガの名を世界に知らしめた最初の製品が、1966年に稼働を開始したアーケードゲーム『ペリスコープ』です。
潜水艦の潜望鏡を模した筐体で戦艦を狙うこのゲームは、エレメカ(エレクトロメカニカルゲーム)の代表作として日本国内のみならず米国をはじめ世界中でヒットを記録しました。
この『ペリスコープ』の成功と、(有)ローゼン・エンタープライゼス(米国人が設立)との合併、さらには1969年の米国Gulf & Western Industries Inc.傘下入りといった事実は、セガが創業初期から本質的にグローバルな視点を持っていたことを示しています。
1970年代:ビデオゲームへの移行
1970年代に入ると、セガはエレメカで培った技術力をビデオゲームへと展開していきます。
1972年には直営アミューズメント・センター『アポロベガス』を開業し、メダルゲーム機を初めて設置するなど、施設運営のノウハウも蓄積しました。
1970年代末には、ドットイートゲームの元祖とされる『ヘッドオン』(1979年) や、大型筐体の先駆けとなった『モナコGP』(1979年) を発表し 、アーケード・ビデオゲームメーカーとしての地位を強固なものにしていきました。
この創業期において、1960年のジュークボックス『セガ1000』という命名は注目に値します。
これは、23年後の1983年に発売されるセガ初の家庭用ゲーム機『SG-1000』へと明確に継承されています。
「1000」という型番には、セガの歴史における「最初の挑戦」を象徴させる、一貫したブランド戦略を読み取ることができます。
第2章:家庭用ゲーム市場への挑戦と「体感ゲーム」の時代 (1980年代)
1980年代は、セガがアーケード市場での技術的頂点を極めると同時に、家庭用ゲームという新たな市場へ本格的に進出した、二正面作戦の時代でした。
1983年:家庭用ゲーム市場への参入『SG-1000』
1983年7月15日、セガは初の家庭用ゲーム機『SG-1000』(SEGA GAMEの略)を定価15,000円で発売しました。
これは、同年に任天堂が「ファミリーコンピュータ」を発売したのと同日であり、日本の家庭用ゲーム市場の黎明期を象徴する出来事でした。
当時のソフトウェア戦略は、セガが強みを持つアーケードゲームの移植が中心でした。
初期のラインナップには『N-サブ』、『YAMATO』、『モナコGP』、『ジッピーレース』などが並び 、アーケードでの人気タイトルを家庭で遊べるという点が訴求されました。
1985年:アーケードにおける革命
家庭用市場へ進出する一方で、セガは本業であるアーケード市場においても技術革新を加速させます。
1985年7月、世界初の「体感ゲーム」と銘打たれた『ハングオン』が稼働を開始します。
プレイヤーがバイク型の筐体にまたがり、体(筐体)を傾けて操作するという斬新なインターフェースは、まさに「ゲームを体験する」という新たな領域を切り開きました。
同年、現代のアミューズメント施設ビジネスにおいて不可欠な存在である、クレーンゲーム機『UFO CATCHER®』(UFOキャッチャー)も登場しました。
1980年代の戦略:「アーケード R&D」型ビジネスモデル
この時代のセガの戦略は、明確な「アーケード R&D」型ビジネスモデルに基づいています。
すなわち、アーケード市場で開発した最先端の技術やヒットIPを、家庭用ゲーム機に移植・展開するという流れです。
1983年に国内初のレーザーディスクゲーム『アストロンベルト』をアーケードで発表する 一方で、同年に『SG-1000』を発売するという動きは 、この二正面作戦を象徴しています。
1985年10月20日に発売されたセガの第3世代家庭用ゲーム機『セガ・マークIII』(定価15,000円)は、そのコンセプトが「アーケードの技術を採用し、大幅に強化された」と明記されており、セガの技術的優位性を家庭用市場に持ち込もうとする意図が鮮明です。
1985年という年は、セガの歴史における「特異点」として分析できます。
この単一の年に、セガは「家庭用ハードウェア(セガ・マークIII)」、「ハイエンド・アーケード(ハングオン)」、そして「プライズ(UFOキャッチャー)」という、後々まで続く3つの主要事業の「原型」を同時に生み出しました。
この爆発的なイノベーションの多様性は、当時のセガの圧倒的な開発力と市場開拓能力を物語っています。
1988年:16bit戦争の序章『メガドライブ』
1980年代の終わり、1988年10月にセガは16bit家庭用ゲーム機『メガドライブ』を発売します。
これは、後に北米市場で『GENESIS』として大きな成功を収め 、セガの名を世界中の家庭に浸透させる基盤となりました。
第3章:3D革命とコンソール戦争の激化 (1990年代)
1990年代は、セガが技術的な頂点を極め、世界市場で覇権を争った、最も華々しく、また最も困難を伴った時代でした。
アーケードでは3Dポリゴン革命を主導し、家庭用ゲーム市場では任天堂、そして新たなる挑戦者ソニーと熾烈な「コンソール戦争」を繰り広げました。
1990-1991年:『ソニック』の誕生と携帯機市場
1990年代初頭、セガは二つの重要な一手を打ちます。
一つは、携帯ゲーム機市場への参入です。
1990年10月、国産の携帯ゲーム機として初めてバックライト付きカラー液晶ディスプレイを搭載した『ゲームギア』を発売しました。
もう一つは、キラータイトルの創出です。
1991年、北米(6月)と日本(7月)で『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』が『メガドライブ』(北米ではGENESIS)向けに発売されました。
高速アクションというゲーム性と、クールなキャラクターデザインは、特に北米市場で爆発的なヒットを記録し 、セガのブランドイメージを確立しました。
1992-1993年:アーケード3Dポリゴン革命
家庭用市場で成功を収める一方、セガはアーケード市場で再び技術革命を起こします。
1992年、フルポリゴンを使用した業務用レースゲーム『バーチャレーシング』を発売。
そして1993年12月、世界初の3DCG対戦格闘ゲーム『バーチャファイター』を発表しました。
それまでの2Dドット絵とは比較にならない、滑らかで立体的なポリゴンキャラクターが繰り広げるリアルな攻防は、ゲームセンターに社会現象とも言える熱狂を生み出しました。
1994年:32bit次世代機『セガサターン』
このアーケードでの絶大な成功を引っ提げ、セガは次世代家庭用ゲーム機戦争に打って出ます。
1994年11月22日、32bit家庭用ゲーム機『セガサターン』を定価44,800円で発売しました。
『セガサターン』の最大の武器は、アーケードで熱狂を生んでいた『バーチャファイター』の(当時としては)完璧に近い移植でした。
しかし、その高性能を実現するために採用されたアーキテクチャが、セガの運命に大きな影響を与えます。
『セガサターン』は、32bit RISC CPU「SH2」を2基搭載する「ツインCPU」構成を採用していました。
これは、3Dポリゴン描画性能を極限まで追求するという、アーケードでの『バーチャファイター』の成功体験に強く影響された設計思想でした。
しかし、この複雑なハードウェア構成は、ソフトウェア開発の難易度を著しく高める結果を招きました。
「最高の技術を市場に投入する」というアーケード的な発想が、開発の容易さやコスト効率が求められる家庭用市場の論理と衝突したのです。
IPの多様化と戦略の縮図
ハードウェア競争の陰で、セガはその企業体質の多面性も示しています。
1995年には、アトラスと共同開発した『プリント倶楽部®』を発表。
これはゲームではなく、「アミューズメント施設における新たなソーシャル体験」を提供するものであり、女子高生を中心に社会現象を巻き起こしました。
これは、セガが単なるゲーム企業ではなく、人間の「遊び」や「コミュニケーション」そのものをデザインする、広義の「アミューズメント企業」であることを証明しています。
また、1996年には『セガサターン』を代表する新規IP『サクラ大戦』が初登場し 、IP創造企業としての側面も強化しました。
1990年代のセガの戦略は、先に発売された『ゲームギア』 にも象徴されています。
競合(ゲームボーイ)に対し、「バックライト付カラー液晶」という圧倒的な技術的優位性を示しました。
しかし、その代償として、高価格(19,800円)と短いバッテリー持続時間(単3電池6本で約3~4時間)という弱点を抱え、市場の普及で後塵を拝しました。
これは、後の『セガサターン』にも共通する、「技術的優位性」を「市場での勝利」に結び付けることの難しさを示しています。
1998年:最後の家庭用ハード『ドリームキャスト』
『セガサターン』での苦戦を受け、セガは起死回生の一手として、1998年に『ドリームキャスト』を発売しました。
ネットワーク機能を標準搭載し、時代を先取りしたハードウェアでしたが、これがセガの最後の家庭用ゲーム機となりました。
第4章:戦略的転換と「セガサミー」の誕生 (2000年代)
2000年代は、セガにとって激動と再生の時代となりました。
1990年代までのハードウェア中心のビジネスモデルが限界を迎え、企業存続をかけた大きな決断を迫られます。
2000-2001年:ハードウェア事業からの撤退と『PSO』
2000年、(株)セガ・エンタープライゼスは商号を「(株)セガ」に変更しました。
この年、セガは『ドリームキャスト』向けに、家庭用ゲーム機市場の未来を先取りする画期的なタイトルを発売します。
それが、家庭用ゲーム機初の本格的ネットワークRPG『ファンタシースターオンライン』(PSO) です。
『PSO』が実現した「家庭用ゲーム機での本格的なオンライン・マルチプレイ体験」は、数年後に業界の標準となるものでした。
しかし、ハードウェア(ドリームキャスト)の販売不振は決定的なものとなっており、セガは2001年に『ドリームキャスト』の製造中止および家庭用ハードウェア事業からの撤退という、歴史的な経営判断を下します。
セガはハードウェア競争には敗れましたが、『PSO』によって蓄積されたネットワーク技術のノウハウは、後のセガの大きな資産となりました。
2004年:セガサミーホールディングス(株)の設立
ハードウェア事業から撤退し、ソフトウェアパブリッシャーとして再出発したセガですが、経営的な困難は続きました。
この状況下で、2004年10月、パチンコ・パチスロ機大手のサミー(株)と経営統合を行い、共同持株会社「セガサミーホールディングス(株)」を設立しました。
2005-2006年:グローバル・パブリッシャーへのM&A戦略
サミーとの経営統合は、単なる経営救済に留まりませんでした。
強固な財務基盤を得たセガは、即座にグローバルなM&A戦略に乗り出します。
2005年、英国の開発会社 The Creative Assembly Ltd.(『Total War』シリーズ)を完全子会社化。
翌2006年には、同じく英国の Sports Interactive Ltd.(『Football Manager』シリーズ)を完全子会社化しました。
この二つの買収は、極めて戦略的でした。
いずれも「欧州」の「PCゲーム市場」に強みを持つデベロッパーであり、セガが従来の「日米のコンソール/アーケード」中心の戦略から、「グローバルのPC市場」へと、意図的にポートフォリオを拡大・多角化する明確な意思を示しています。
2005年:新生セガを象徴する新規IP『龍が如く』
セガサミーグループとして再出発したセガは、ソフトウェア企業としてのアイデンティティを確立する強力なIPを生み出します。
2005年、家庭用ゲーム『龍が如く』シリーズが初登場しました。
『龍が如く』は、ハードウェア事業撤退後のセガだからこそ生まれ得たタイトルと言えます。
自社ハードの普及という呪縛から解放され、当時最も普及していた他社(ソニー)のプラットフォーム上で、最も先鋭的で、日本のアンダーグラウンドな世界観を色濃く描くという、コンテンツ制作にリソースを集中できました。
これは、セガが「ハードウェア・メーカー」から純粋な「コンテンツ・クリエイター」へと変貌を遂げたことを象徴する出来事でした。
第5章:グローバル・パブリッシャーへの飛躍とIPの多角化 (2010年代 – 現在)
2010年代以降、セガはセガサミーグループの中核企業として、積極的なM&A、組織再編、そしてIPの多角化(トランスメディア戦略)を通じて、全方位型のグローバル・エンターテインメント企業へと飛躍を続けています。
2012年:アーケードとオンラインのヒット
2012年、セガは二つの領域で大きな成功を収めます。
アーケード市場では、音楽ゲーム『maimai』シリーズが初登場し 、新たなヒットジャンルを確立しました。
オンラインゲーム市場では、かつての『PSO』で培ったノウハウを結実させた『ファンタシースターオンライン2』(PSO2) がサービスを開始し 、長期にわたる人気コンテンツへと成長しました。
2014年:(株)アトラスの買収
2010年代のセガのM&A戦略において、最も重要な動きの一つがアトラスの買収です。
2014年、(株)インデックスのゲーム事業を会社分割する形で、(株)アトラスがセガグループに参画しました。
これにより、セガは『真・女神転生』および『ペルソナ』という、グローバル市場、特に欧米で熱狂的なファンコミュニティを持つ「JRPG」の強力なIPポートフォリオを獲得しました。
これは、2000年代の「欧州PC市場」の獲得に続く、戦略的な弱点の補完でした。
2015-2020年:市場融合に伴う組織再編
この時期、セガは市場環境の変化に対応するため、大規模な組織再編を実行します。
2015年、(株)セガは会社分割され、(株)セガホールディングス(後のセガグループ、持株会社機能)、(株)セガ・インタラクティブ(アーケード事業)、(株)セガゲームス(コンソール・モバイル事業)という体制に移行しました。
これは、アーケードとコンソールという「事業ドメイン別」の縦割り構造でした。
しかし、この体制は長く続きませんでした。
アーケードゲームもネットワーク接続が前提となり(例:『maimai』)、家庭用ゲームもF2Pや継続的サービス(例:『PSO2』)が主流となるなど、「アーケード vs 家庭用」という旧来の市場区分が急速に意味をなさなくなりました。
その結果、わずか5年後の2020年、(株)セガゲームスが(株)セガ・インタラクティブを吸収合併し、事業会社は再び「(株)セガ」に商号変更(再統合)されました。
これは、IPを軸に全プラットフォームを横断する「ワン・セガ」体制への回帰が戦略的に必要となったことを示しています。
IPのトランスメディア戦略とグローバル展開
2020年代に入り、セガは保有するIPをゲーム以外のメディアへ展開する「トランスメディア戦略」で大きな成果を上げます。
2020年に公開された映画『ソニック・ザ・ムービー』は全世界興行収入で大ヒットを記録し 、『ソニック』IPのブランド価値を再浮上させました。
そして2023年、セガはフィンランドのモバイルゲーム会社 Rovio Entertainment Ltd(『Angry Birds』の開発元)を子会社化しました。
この買収は、セガグループがこれまで手薄であった「モバイルファースト」の巨大グローバルIPを獲得するものであり、全方位型のグローバル・パブリッシャーへと変貌を遂げたセガの現代の姿を象徴しています。
第6章:主要ゲームハードウェア詳細
セガの歴史、特にその技術思想と経営戦略を分析する上で、同社が世に送り出した主要な家庭用ゲームハードウェアの技術仕様(スペック)を理解することは不可欠です。
ここに、SG-1000からセガサターンに至るまでの主要4機種の仕様詳細を表形式でまとめます。
これらの数値データは、各時代におけるセガの「高性能・高価格」路線という一貫した戦略を定量的に示しています。
表1:SG-1000 ハードウェア仕様
セガ初の家庭用ゲーム機。アーケードゲームの移植を主眼に置いて開発されました 。
| 項目 | 詳細 |
| 発売日 | 1983年7月15日 |
| 価格 | 15,000円 |
| CPU | NEC 780C (Z80A相当) |
| RAM | 1KByte (メインRAM) |
| VRAM | 16KByte |
| グラフィック | TMS9918A |
| 解像度 | 256×192ドット |
| 同時発色数 | 16色 |
| サウンド | SN76489 (PSG音源 3重和音+1ノイズ) |
(出典: 他、セガ公式情報に基づく)
表2:セガ・マークIII ハードウェア仕様
SG-1000シリーズとの互換性を保ちつつ、「アーケードの技術を採用」しグラフィック機能を大幅に強化したマシンです 。
| 項目 | 詳細 |
| 発売日 | 1985年10月20日 |
| 価格 | 15,000円 |
| CPU | Z80A (3.58MHz) |
| RAM | 64Kbit (8KB) |
| VRAM | 128Kbit (16KB) |
| グラフィック | セガ・カスタムVDP (315-5124) |
| 解像度 | 256×192ドット |
| 同時発色数 | 64色中32色 |
| サウンド | SN76489 (PSG音源 3重和音+1ノイズ) |
| 特徴 | FMサウンドユニット(別売)対応 |
(出典: 他、セガ公式情報に基づく)
表3:ゲームギア ハードウェア仕様
国産の携帯ゲーム機として初めてバックライト付き3.2インチカラー液晶を搭載しました。
別売のTVチューナーパック装着により携帯テレビとしても使用可能でした 。
| 項目 | 詳細 |
| 型番 | HGG-3200 |
| 発売日 | 1990年10月6日 |
| 価格 | 19,800円 |
| CPU | Z80A (3.58MHz) |
| MEMORY (RAM) | 64Kbit |
| VRAM | 128Kbit |
| ディスプレイ | バックライト付 3.2インチ カラー液晶 |
| 画素数 (解像度) | 480×146ドット |
| 発色数 (同時発色数) | 4096色中32色同時発色 (ゲーム時) |
| SOUND | ステレオ 3重和音 1ノイズ |
| 使用電源 | 単3アルカリ乾電池6本 (約3~4時間連続使用可) |
| 外形寸法 | 255(W)×113(D)×38(H) mm |
表4:セガサターン ハードウェア仕様
32bit RISC CPU「SH2」を2基搭載する「ツインCPU」アーキテクチャを採用し、アーケードゲーム(特に『バーチャファイター』)の移植に必要な高いポリゴン描画性能を目指しました。
| 項目 | 詳細 |
| 型番 | HST-3210 |
| 発売日 | 1994年11月22日 |
| 価格 | 44,800円 |
| メインCPU | SH2 (28.6MHz、25MIPS) ×2 (ツインCPU) |
| サウンドCPU | 68EC000 (11.3MHz) |
| メモリ (ワークRAM) | 16Mビット |
| ビデオRAM | 12Mビット |
| サウンドRAM | 4Mビット |
| 解像度 | 320×224ドット 他 |
| 同時発色数 | 1677万色 |
| サウンド機能 | PCM音源またはFM音源 32CH (MAX44.1kHz) |
| CDドライブ | インテリジェント倍速CDドライブ |
第7章:初期代表ソフトウェア・リスト
ハードウェアの成功は、そのソフトウェアラインナップ戦略に大きく依存します。
セガの家庭用ゲーム黎明期を支えた『SG-1000』対応ソフトウェアのリストは、当時のセガが「アーケードゲームの移植」を戦略の柱としていたことを具体的に示す証拠となります。
以下に、メディア(カートリッジおよびマイカード)別に、1983年から1987年までの代表的なソフトウェアを年別にリストアップします。
表5:SG-1000(SC/SG用)ゲームカートリッジ 年別リスト (1983年-1987年)
発売年 (コピーライト準拠) | 型番 | タイトル |
| 1983年 | G-1001 | ボーダーライン |
| G-1002 | サファリハンティング | |
| G-1003 | N-サブ | |
| G-1004 | 麻雀 | |
| G-1006 | 芹沢八段の詰将棋 | |
| G-1008 | YAMATO | |
| G-1017 | モナコGP | |
| G-1022 | セガ・ギャラガ | |
| G-1026 | ジッピーレース | |
| G-1028 | エクセリオン | |
| 1984年 | G-1014 | ゴルゴ13 |
| G-1015 | オーガス | |
| G-1031 | ロードランナー | |
| G-1032 | サファリレース | |
| G-1036 | フリッキー | |
| G-1037 | ガールズガーデン | |
| 1985年 | G-1038 | ザクソン |
| G-1042 | コナミのハイパースポーツ | |
| G-1043 | スターフォース | |
| G-1045 | スペースインベーダー | |
| 1986年 | G-1046 | ザ・キャッスル |
| 1987年 | G-1315 | ロレッタの肖像 |
表6:SG-1000(セガ マイカード)年別リスト (1985年-1987年)
発売年 | 型番 | タイトル |
| 1985年 | C-05 | チャンピオンゴルフ |
| C-17 | モナコGP | |
| C-26 | ジッピーレース | |
| C-43 | スターフォース | |
| C-48 | チョップリフター | |
| C-50 | どきどきペンギンランド | |
| C-52 | チャックンポップ | |
| C-55 | エレベーターアクション | |
| C-60 | ハングオンⅡ | |
| C-61 | ボンジャック | |
| 1986年 | C-63 | ガルケーブ |
| C-65 | 忍者プリンセス | |
| C-69 | ワンダーボーイ | |
| 1987年 | C-72 | ザ・ブラックオニキス |
結論:セガの不変のDNAと未来への展望
セガの60年以上にわたる歴史は、絶え間ない「挑戦」と「変革」の連続でした。
本レポートで分析した通り、その軌跡にはいくつかの不変のDNAが刻み込まれています。
第一に、「技術への飽くなき挑戦」です。
『ペリスコープ』のようなエレメカから、『ハングオン』 の体感ゲーム、『バーチャファイター』 の3Dポリゴン、そして『PSO』のオンライン技術に至るまで、セガは常に業界の技術的フロンティアを切り開いてきました。
そのDNAは時に、『セガサターン』 や『ゲームギア』 のように市場の論理と衝突する「技術的過剰」も生み出しましたが、それこそがセガのアイデンティティでもありました。
第二に、「アーケードとコンソールの両輪」です。
創業期から「製造」と「運営」を一体化させた セガは、アーケードで最先端の遊びを開発し、それを家庭用へ展開するという強力なビジネスモデルを長らく維持してきました。
市場環境の変化により両者の境界が溶解した現代(2020年の組織再編)においても、IPを軸にリアル(アーケード)とデジタル(コンソール・モバイル)を横断する戦略は、セガの強みであり続けています。
第三に、「グローバルな視点」です。
創業期の『ペリスコープ』の世界的ヒットから、北米での『メガドライブ』の成功、そして2000年代以降の欧州デベロッパー(Creative Assembly等) 、日本のJRPG(アトラス) 、フィンランドのモバイル(Rovio)の買収に至るまで、セガの視点は常にグローバル市場に向けられています。
第四に、「IP創造力」です。
『ソニック』 、『バーチャファイター』 、『サクラ大戦』 、『龍が如く』 といった自社開発IPに加え、『ペルソナ』 や『Angry Birds』 といった強力な外部IPを獲得した現在のセガサミーグループは、世界でも有数のIPポートフォリオを持つに至りました。
『ソニック・ザ・ムービー』 の成功に見られるように、セガの未来は、これらの強力なIPをゲームという枠を超えて、映画、アニメ、ライセンス商品など全方位に展開する「グローバル・エンターテインメント企業」としての姿にあります。
ハードウェア・メーカーとしてのセガの時代は終わりましたが、コンテンツ・クリエイターとしてのセガの挑戦は、今まさに新たな段階に入っていると言えるでしょう。
